剣山とジロウキュウの山頂を踏み、ジロウキュウの肩から西へ縦走路に入りました。
ジロウキュウ山頂の登山者は縦走ではなかったようで、縦走路に人影はありません。
稜線のミヤマクマザサの中につけられた登山道は鞍部でスーパー林道への道を分け、丸石の登りになりました。
丸石と思ったピークは名無しのピークで、丸石はその先をもうひと登りしなければなりませんでした。
北東から南西に糸巻き形地形の丸石は一面熊笹におおわれた草原台地でした。
振り返るジロウキュウと剣山はまっすぐ延びてくる稜線上にまだ大きく見えます。
丸石から下った樹林の中に丸石避難小屋がありました。
小屋から少し上ったピークから奥祖谷の二重かずら橋への道が出ていました。
山仲間がここを上ってきた記録を読んでいて、この辺は初めてという気がしません。
ピークを一つ越して樹林帯を緩く登り平坦地を過ぎると、高ノ瀬の荒れた岩交じりの登山道になりました。
高ノ瀬山頂は一度通り過ぎますが、見つからな山頂に思い当たる節があり戻ってみると、ささやかな山頂標は支柱から剥がれて地面に落ちていました。
それほどわかり難い処でもなかったのですが、隣の三角点も見過ごしていました。
食害?塩害?付近の立木に枯れ木が目立つます。
この現象は稜線の登山道沿いに石立山分岐まで続きました。
石立山分岐から尾根の南側を巻く縦走路は広大な熊笹の草原に入っていきます。
前方に三嶺が、振り返ると剣山とジロウキュウも望まれる絶景地です。
草原を境に縦走路の終了点と出発点がさえぎるものなくつながる光景は、ほかには知りません。
右手に剣山を、左手に三嶺を、草原の真中に立って眺める気持ちのいい稜線歩きは縦走のハイライトです。
1732標高点ピークを過ぎて何気なく右の稜線に送った視線に今日初めての人影が映りました。1700.8標高点ピークのようです。気になったので私も上ってみました。
尾根にも踏分路がついていて稜線通しにもいかれるようです。
やがて夏道に戻ると2つ3つ分岐が出てきて、そのどこからか現れわれた登山者の姿が見られるようになりました。
間もなく笹原の草原奥に白髭避難小屋が見えてきました。
小屋手前の草原から右手に見える大きな山容は三嶺でしょうか、大分近づきました。
小屋をのぞくと登山者でいっぱいでしたので、先に進むことにします。
白髭分岐からカヤハゲにかけては食害で山が痛んでいる印象を受けました。
ネットやテキサスゲートと称する鹿除けの対策も随所に見られましたが、相手が生き物だけに対処に苦労しますね。
カヤハゲ山頂に登ると三嶺は目の前です。
一部鎖場もある急登にスクと遮る大岩がありました。
私にはソクラテスが浮かべた苦渋の表情はこうだったかも?
と想像した味のある大岩の凹凸。
そんな大岩を巻く段差のある階段状の登山道を辿って三嶺山頂に出ました。
到着はお昼頃だったと思いますが、三角点にタッチして食事にしようと山頂から避難小屋のある広場に降りて行きかけて、あぁ!この景色です。
ミヤマクマザサとコメツツジの草原に山頂池と赤い屋根の避難小屋のロケーション。
一度は見てみたいと思った天空庭園です。
三嶺は高知県の最高峰ですが山頂の半分は徳島県なのだそうです。
剣山や石鎚山ほど有名ではないけれど“四国の人々からは一番愛されている山”
とも聞きました。
この日もたくさんの登山者で、避難小屋にはいい匂いをさせて鍋を囲む常連らしいグループもありました。
小屋の入り口に鐘がつるしてあったので太平洋側から上ってくる暖気で濃霧が出るのかもしれませんね。
高知県側にもルートが拓かれていて、実は面白いメインはそちらにあるとも…
無関心ではいられませんね。
名頃に下山したのは、15時頃だったと思います。
その後次の山域の愛媛県の瓶ヶ森近くの宿「山荘しらさ」に移動したのですが、
瓶ヶ森林道経由で到着は19時になってしまいました。
晩秋のつるべ落としの時期、ガスの出た真っ暗な山道の走行は泣きたい気分。
振り返えるに四国山旅の最難関でしたね。
二百名山 三嶺100/43座
2010-11-12~13 登山
剣山からの続き石鎚山につづく
0 件のコメント:
コメントを投稿