吉野山は吉野桜のオフシーズンで閑散としていました。
世界遺産金峯山国宝の仁王門は18号台風で屋根瓦が飛ぶ被害に遭ったとかで修復中でした。
奥駈は本宮から吉野に向かうのを順峯(じゅんぷ)といって天台宗系本山派、
吉野から本宮に向かうのを逆峯(ぎゃくふ)といって真言宗系当山派、
二つの異なった宗派によって主宰されています。
きょうの下見から本宮を奥駈起点にこの吉野をゴールしょうと決めました。
「もうお帰りですか?」と行がけに挨拶を交わした女性に呼び止められます。
吉野の隠れた見所を教えていただき、今夜泊まる五條についても「明治維新発祥の地」と教えて貰いました。
奥駈に再訪のつもりを伝えて、心に点った温かい思いを抱いて吉野を去りました。
帰りはケーブルを使わないで歩いても10分程で近鉄の駅に着きました。
ちょうど発車間近の電車に間に合って次は飛鳥に向かいます。
高松塚古墳とキトラ古墳に行ってみたいと出発しました。
ところがキトラ古墳は飛鳥駅からだと思った以上に遠いので文武天皇稜から引き返して
石舞台に行くことにしました。
広々とした石舞台、ここで行われた古の政はどのようだったのでしょう。
古代社会の律令は私が思うより遥かに確立したものだったのですね。
中学・高校で習ったはずですが…覚えていません。
同じようなのびやかさを宮崎県の西都原古墳でも感じました。
古代の人々の生活が目に浮かぶような心持がします。
のびやかな気持ちにさせて貰った一日でした。
かつて訪ねた宮崎県の西都原古墳群も同じような立地にありました。
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